補足説明
みどり館のデザインは
三種類。
ロケットが宇宙旅行を
するシーンは有名である。
しかし実際の映像にはなかった。
また雷やオーロラのシーンの
絵コンテも存在する。
有名人では
三船敏郎氏 マーロンブランド氏
勝呂誉・大空真弓夫妻
岡本太郎氏などの顔が見える。
1967年4月
みどり会は、仮出展を申し込む。
7月
アストロラマのアイデアを決定
10月
大林組に発注
1968年3月
映写方式に五藤光学の
五分割方式を採用
5月テーマを
アストロラマ多次元の世界と決定する。
協会と正式契約
9月
琵琶湖大博覧会に参加
野村証券が緑会に参加
シンボルマーク決定
10月
シナリオに谷川俊太郎氏
作曲に黛敏郎氏に委託
三越の万国博のすべて展に参加
1969年2月
ユニットカメラ完成
3月
棟上げ式
4月
映画撮影開始
5月
コンパニオン決定
6月
大林組と学研の契約締結
7月
コンパニオン結成式61名
8月
コンパニオン研修開始
9月
コンパニオン10名追加
ラッシュフィルム完成
コンパニオンのユニホーム決定
映写機と音響装置の取り付け
スクーリン完成
二作目 前進製作決定
11月
竣工式
誕生の試写
12月
前進撮影終了
1970年2月
前進の音楽録音完了
コンパニオン現地訓練開始
プレスプレビュー挙行
開館式挙行
3月13日
開会前日にエントランスホールの
展示作業完了
4月1日テレビコマーシャル開始
23日に100万人目の入場者
5月
記録映画を各社に配布
30日には200万人目入場
7月2日
入場者は300万人突破
8月4日
400万人目の入場者
9月2 日
500万人目の入場
9月14日
コンパニオン解散式
さよならパーティー
17日慰安旅行
30日事務所の閉鎖
これは凄い迫力だよ
この館の界隈にはロクな
館がないがアストロラマは
ビカ一だった。
漫画家 手塚治虫
みどり館の記録より
手塚先生
やっばり一番は
ご自身の関係された
フジパンロボット館だったん
でしょうか
お尋ねしたかったです。
私は先生のフアンでした。
補足説明
インフオメーションセンターへ
建物へ
パンフレット
みどり会32社
宇部興産
大阪セメント
大阪曹達
大林組
学習研究社
関西ペイント
興亜火災開場
小西六写真工業
三和銀行
銭高組
大同生命
ダイハツ工業
高島屋
帝人
東洋運搬機
東洋建設
東洋ゴム工業
東洋信託銀行
徳山曹達
日綿実業
日産建設
日商岩井
日本火災海上
野村證券
日立造船
福助
藤沢薬品工業
丸善石油
三ツ星ベルト
森下仁丹
山下新日本汽船
ユニチカ
50音順
当時のパンフレットより
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